2009年6月アーカイブ

マイケル・ジャクソンの生涯・・・

2009年6月25日(日本時間26日早朝)

「世界で最も成功したエンターティナー」(ギネスブック発言)である

マイケル・ジャクソン(50歳)がその短すぎる人生の幕を閉じた。

 

まさに同年代である私にとって、マイケル・ジャクソン氏の生涯は

実に思い出深いものがある。

ジャクソンファイブ時代、ラジオで聞こえてくるアメリカンポップスは

めちゃくちゃカッコよく、リズミカルなサウンドと美しいハーモニー。

メインボーカルはどう考えても”子どもの声”なのに、めちゃくちゃ

歌がうますぎ!!

さすが世界には凄い子どもが居るもんだなーなんて思っていた。

その後、”映画ベン”(嫌われドブねずみと少年の友情物語)の

主題歌”ベンのテーマ”と言うバラード曲を感情豊かに、せつなく

物悲しい素晴らしい歌声に感動した事を思い出す。

きっと戦後(第二次世界大戦)の焼け野原から、復興しようと

たくましく生きる人々に勇気を与えた”美空ひばり”のそれに

近いものを感じていたのかもしれない。

 

たしか”勝手にシンドバッド”でセンセーショナルなデビューを

遂げたサザンが、一発屋で終わるかどうかの大事な大事な

セカンドシングル”いとしのエリー”をリリースした頃だったと

記憶しているが、マイケル・ジャクソンのソロアルバム(黒い

タキシードでほほえむ、まだ団子っぱなの頃のジャケット)は

当時ディスコブーム真っ只中にドンピシャであったが一曲の

バラードにめちゃくちゃしびれちゃいましたー!

世界中をビックリさせたあの”SONYウォークマン”が初めて

発売された頃だったかなぁ?

ちょうど湘南暮らしの修業時代で、恋愛と失恋、虚しさと

せつなさ、希望と絶望etc.・・・

”いとしのエリー”と”She Is Out Of My Life”は私の青春時代

そのもの。

 

ちなみに一億枚以上のモンスターアルバム”スリラー”は、

スタート直後のMTVに合わせ、当時破格の二億円を掛けた

プロモーションVTRがそのセールスを絶対的なものにした。

ビジネスモデルを追い求めていた頃の私を思い出す。

 

着の身着のまま初めて渡米したあの頃、この曲が世界を

変えるかも・・・と。そう、”We Are The World”です。

 

音楽と己の人生、世代と時代背景によってそれぞれ

感じるものは違うと思います。

弊社も創業43年・・・

日本のサーフィン文化と共に歩んで来ました。

ブーム有り落ち込み有り、波乱万丈、紆余曲折・・・。

それぞれの人にそれぞれのサーフィンライフが有ります。

まだやった事の無いひとびとにとってのサーフィン・・・

どうか一度でも体験してみて下さい。

大自然と向き合うとき、他のスポーツでは得られない

あなた自身を感じる事が出来るはず・・・

私たちがお手伝いさせて頂きます。

              See You On The Taito Beach

 

 

 

 

 

 

師(し)、志(し)、死(し)・・・

6月13日プロレスラー三沢光晴氏が亡くなった。

46歳と言う若さで人生の幕を閉じた訳だが、

私なりの視点で彼に付いて述べさせて頂きたい。

テレビメディアのコメンテイターは、一様に彼の

心労に付いて触れていた事が印象的であった。

                              

戦後の偉大なるプロレスラー”力道山”の愛弟子

である”ジャイアント馬場”の付き人に始まり、

次に”ジャンボ鶴田”の付き人を経てプロレスラー

の道を歩んで来た。

当然ながら日本のプロレス業界の王道を担う彼は

国民的ヒーローを師と仰ぎ、絶対的チャンピオン

に成らなくてはいけない・・・

しかも誰もが認める真のチャンピオンに。

並大抵の努力では済まされなかった事は言うまでも

ないであろう。

絶対王者”ジャンボ鶴田”を破り、正真正銘の

世界チャンピオンにファンは惜しみない拍手喝采を

贈り、彼は頂点を極めた。

 

2000年以降相次いで師匠を亡くし、彼に架せられた

役目はその志(こころざし)を継承し続ける事。

プロレス団体の立上げに伴ない”社長”としての

立場もプラスされた。

所属するレスラーをまとめ、しかも低迷する興行と

業界全体をも盛り上げて行かねばならない・・・

彼をよく知るコメンテイターが心労に付いて

触れるのも、有る意味当然だったのかも・・・

 

彼の役割、責任、使命感は計り知れないプレッシャー

であったに違いない。

けっして諦めたり逃げ出したりする事は出来ない。

「私に引退は有り得ない!」と宣言していた・・・

 

今回のリング上での出来事は、事故で有るには

違いないが気の緩みとは到底思えない。

”受け身の天才”がまともに後頭部を打ちつけ

られたらどうなるのか解っていたはず・・・

 

自殺を美化するつもりは毛頭ないが・・・・

死をもって、師を仰ぎ、その志を貫き徹す手段は

これしか無かったのかも知れない。

 

”平成の侍”三沢光晴氏のご冥福をお祈りします。